* 児童文学について考えてみた *
 


 子供と本について〜。
 きっと、いろんな大作家の方から、読書歴が海月の人生より長い方まで、このテーマは考えたり書いたりしていることでしょう。
 でも、あえて書きます。今、一応若い方に入る、今時のバカ者といわれる世代としての見方も、時には必要なのではないかと思うからです。
 近年、児童文学の売り上げが落ちています(関係ない方、すみません、初っ端からとばしすぎ)。まあ、これは、事実です。
 ちなみに、文庫の売り上げも落ちています。角川や富士見などの軽めのところから、教育関係、科学関係、ジャンルを問わず落ちています。
 いわゆる大人のお友達が読む本も、小学生でも読める、まちがった男の子同士の小説も(ナゼ十八禁でない…)、どんどん落ちています。こちらは、バブルがすぎただけで、ある程度減れば止まるでしょうが…。
 原因は色々あります。まず、マンガの影響は確かに大きい。
 テレビに慣れた世代には、正直な話、文章を目で追うより、絵を見た方が楽です。台詞には全てルビがふってあるし、言葉の意味が分からなくても、何となく映像で理解できます。
 それに最近のマンガは、一部、雑誌による特性をのぞいて、読みやすいきれいな絵が多いです。これは、たとえマンガの世界でも、読者がより楽な方向を求める傾向があるということです。
 画面は見やすく、わかりやすく。背景はアシスタントに。もしくはものすごく綺麗に。
 そして、たいてい読者受けをねらって、キャラクタを作ります。少なくとも登場人物の中に、絶対に「ねらった」キャラクタが一人は入ります。
 さてはて、次に、ゲームです。
 誤解されている方が多いですが、最近はゲーム市場も飽和気味で、大ヒットや大作はほとんど出ていません。ふぁいなる○んたじーなどのヒットは偽物です。四角い会社はつぶれました。
 ゲーム会社は、たいてい苦しいんです(除、任天○)
 その証拠に、アニメやマンガなどの原作をもつものか、前作が売れたシリーズものに、最近かなり偏ってます。
 これが、子供のやる、まともなゲーム。
 さて、次に、大きいお友達のやるゲームも考えなくてはなりません。
 え?なんで「児童」文学に、「大きい」つまり、十八歳以上のゲームが関係するかって?
 そりゃあ、今時の子供は、少なくとも中学生になれば、そんなもんやってるからですよ。
 特に女子。児童文学の読者には、女子がけっこう多いと思うのですが…。
 ちなみに、早いと小学生でフルボイスでやってます。
 まあ、普通のゲームにも、裸だけなくした同じゲームがあるわけですし。
 今の子は、社会に汚れるのが早いです。情報過多だから。
 ああ、もう、ついていけないとか言わないで下さいね。そういう年代に向けて書いているわけです。児童文学は。
 そして、それらの年代は、エログロとピュア恋愛が矛盾しないのです。個人的好みはあるけれど、どちらも受け入れるお年頃なんですな。
 サラリーマンが、電車で足広げて譲りもしないのに、自分の子供には礼儀とか行儀とかを語って平気なのと同じです(違)
 さて、これらゲームの特徴は、選択肢がものすごい広い、ということ。
 個人の好みに合わせた女の子(もしくは男の子)が必ず一人はいるように、選べるキャラクタの選択肢が多いです。
 一つのゲームで、四、五人ヒロインが出てくることは当たり前です。おいおい、とかいうものだと、十二人妹が出てきたりします。 …はい?
 ま、モーニング娘。方式な訳です。
 この、選択肢、に関しては、普通のゲームでも同じです。マルチエンディングはもはや珍しいものではありません。
 一つのゲームの中に、何本もの話が入っていても、あ、そう、で済まされます。作る方はその分大変なのですが。
 もちろんそれは、一度目と二度目のプレイが違うストーリーだったり、隠しシナリオが出てきたりなど、何度も遊べることを目的としたものもあります。
 ちなみに、今の子供は文章を読まないから、本が売れないというのはあまりいいわけにならないと海月思うのですよ。
 ゲーム中の文章量は結構すごいです。もちろん、ルビなんかありません。
 それでも子供はやるんですよ?
 もちろん映像の手助けがあるのは認めますが、サウンドノベルのゲームなんか、文庫で百ページ越えてます。
 …工夫すれば、読めますって、絶対。
 まあ、確かに、中には「普通」が読めなかったりする子もいますが。そういう子供の割合が増えてきているのも事実ですが…。
 さて、話題を戻しましょう。
 児童文学の難点は、選択制に乏しいことです。対象読者が小さく、枚数も限られるため、キャラクタの数を増やせない。
 また、本なんだから、ストーリーも一本しかない。
 そして、ゲームと違ってあまり中古(新古品)が出回らず、値段も高い。
 一冊千円以上するんだったら、新品六千円のゲームは、十時間は遊べる。そっちのがよい。となるわけです。
 だから、よほど小さい頃から本を読ませて洗脳するしかない。
 本を読む楽しさを、体に覚え込ませるしかないと思うのです。
 それには、まずお金を出す親をふりむかせ、なおかつ子供が読んでも押しつけがましくなく面白いものである必要があると思います。
 …いっそのこと、児童文学を支えてる子供でない、主婦世代に向けての路線を拡大しても、それはその方が売り上げにはつながるんでしょうが。
 子供に向けて、ではなく、大人のなかの子供だった頃について、というやつですね。
 この先、どちらの方向に児童文学がすすんでいくのかわかりませんが、所詮児童文学は、「コア」なファンにむけたジャンルです。
 悲しいかな、現実はそうです。
 けれど。良いものには、必ずヒトはお金を出すものです。特に金銭感覚ないバカ者世代。
 これからの児童文学には、作家の努力もさることながら、業界全体の取り組みが必須だとひしひしとかんじる、おなかの痛い(うう、食中毒)午前三時半なのでした。

 

 

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