■ 祝福の鐘 ■


=祝福の鐘=



 男にその音が初めて聞こえたのは、地下鉄の階段だった。
 最後の一段を降りたときに、ちりん、とかすかな音がした。
 けれど、男は会社に行く途中だったし、おまけに遅刻しそうだったので、気にも留めず、満員の電車の中に、自分を押し込んだ。
 一日働いて、くたくたに疲れてようやく帰ろうとしたとき、またその音が聞こえることに、気が付いた。

 ちりん、ちりん、とかすかな音が、確かに聞こえる。
 それも男が歩く速度に合わせて、ちりん、ちりん、と鳴るのだ。
 不思議に思った男が、街中で立ち止まる。
 耳を澄ませたが、音は消えていた。
 きっと疲れているのだと思い、また歩き出す。
 すると、右足にあわせてちりん、左足にあわせてちりん、と、またその音が響き出す。

 一歩。ちりん。
 一歩。ちりん。
 気にしなければ気づかないような、かすかな音が、確かに 。
 ちりん、ちりん、ちりん、ちりん。
 歩くごとに聞こえてくるその音は、澄んだ音色だ。
 プラチナか、薄い薄いガラスで創った小さな鈴のような、その音色が、確かに男の中を付いてくる。


 歩いては立ち止まり、歩いては立ち止まりながら首をひねる男を、周りの人が一瞬奇妙そうに見つめ、そして気にも留めずに歩き去っていく。
 その音は、街中を歩いているときには、…つまり、周りに雑音があるときには完全に紛れてしますような音だった。

 しかし男が家に帰る頃の、薄暗い住宅街を歩く時には、ちりん、ちりん、と耳の中で主張をはじめる。
 立ち止まり、男は首をひねった。音はしない。
 男は頭を振った。音はしない。
 街灯の下で、頭を振り回した。しかし音はしない。
 男は歩き出した。ちりんちりんと、その奇妙な音は、付いてきた。
 溜め息をついて、男は音を連れたまま、急いで家に向かった。
 座っていれば音はしない。
 ほっとして男はテレビを見て、そして寝た。





 次の朝起きても、音は消えなかった。
 歩くたびに、ちりん、ちりん、と確かに聞こえる。
 それでも気にせず、男は会社に行った。一日働いた。そして、いつもの道で帰る。
 音は、階段を下りるときも、上がるときも付いてきた。
 男は気にしないことに決めた。
 昼休みにさりげなく同僚に「何か鈴みたいな音がしないか?」と聞いたとき、そんな音は聞こえないぞ、と返され、この音は男の頭の中でしか聞こえないことを確かめたからだ。
 男にしか聞こえないなら、男が気にしなければ、それはないモノになる。




 そのまま三日、四日と経つうちに、男はある法則を見つけた。
 この頭の中の鈴は、上下運動で鳴るらしい。
 だから歩くときも、とん、と足を付いた瞬間にちりん、とくる。
 頭を振っても音は聞こえないが、軽くでもジャンプすると、澄んだ音色が響くのだった。
 まるで、右の耳の奥。こぶし一つ分押し込んだ辺りの脳味噌に、銀色の鈴がしっかり結びつけられているようだった。
 男は、その音を楽しみはじめた。
 元々、綺麗な音色だった。
 会社まで一時間かかる道のりも、音に耳をを傾けていれば、あっという間に着く。
 慣れた道は、意識しなくとも、勝手に身体が歩いてくれたので、人並みに流されるだけで良いのだ。


 そのうち、昼休みにも歩き回るようになった。健康のため、と言えば社内に気にする者はいない。
 昼食を取った後、階段を上り降りしながら、ちりん、ちりんという音を聞いていると、何故か満足感に包まれた。
 美しいこの音色が、男にしか聞こえないという独占感からかも知れなかった。





 一週間ほど経ったときには、男は隣で道路工事をしていても、頭の中の鈴に耳を澄ませることが出来るようになっていた。
 時々、鈴の音を聞いていると、自分がどこか遠い世界にいるような気がしてくる。
 男は休みの日も歩き回り、鈴の音を聞き続けた。
 かすかだったその音は、男がもっと聞きたいと願うたび、少しずつ大きくなっていった。

 
 りん、りん。
 男が歩くたび、鈴の音が聞こえる。
 鈴は、もう、周囲の雑音に負けない音になっていた。
 精度も良くなって、首を上下に振るだけで、涼しい響きを奏でてくれる。
 男は、聞きたくないコトがあるときには、いつも首を揺らしたり、小さく貧乏揺すりをする事にした。
 そうすると、世界が遠ざかって、嫌なモノを感じることがない。

 満員電車の中で。うるさい女子高生の隣で。上司が嫌味を言ったときに。
 静謐な音が、男を慰めた。
 前のように、くたびれた足取りで歩くことはなくなった。
 どこへ行くときも、鈴が一定のリズムで鳴るように、軽くステップを踏むように歩くように心がけた。
 運動不足の身体が悲鳴を上げていたが、男は満足だった。


 
 鈴の音は、どんどん大きくなっていった。
 りん。という音も、鈴と言うより、ハンドベルのように、甲高く響く。
 男は、テレビを見なくなった。
 見ている途中に少しでも動くと、ベルの音で音声が聞こえなくなるからだった。
 何もせずにこたつに座り、頭を降り続ける。
 誰が見ても奇妙な光景だった。しかしそれを見ている者など無く、男は幸せだった。
 歩く体力を付けるために、食事はきちんととる。

 朝起きて、のびをしたときに、りん!という音を聞くのは、何より至福だった。
 雨だろうが、曇りだろうが、それだけで明るい気分になれる。
 そして、軽い足取りで出かけるのだった。




 動くごとに、男の中で、ハンドベルが鳴る。
 次第に、他人と話すのが苦痛になってきた。上司の指示を聞いている間も、一切頭を動かすことが出来なくなったからだ。
 男は、会社を辞めた。

 しかし次の日も、男は朝起きるとスーツを着込み、出かけていった。
 いつもの地下鉄の駅に行き、階段を、一段とばしで、とんっとんっとん、と降りていく。
 頭に伝わる衝撃に、ハンドベルが合わせて鳴り響いた。
 もはや、ハンドベルというより、抽選会場で乱雑に鳴らされるベルのような大きな音。
 男は嬉しそうに、ホームに着いた電車に滑り込んだ。

 一駅ごとに降りて、階段の上り下りを繰り返し、終点の駅で折り返す。
 堪えきれない笑みを浮かべて階段を上り下りする男を、駅員が困った顔で見つめていた。
 



 すでに鐘のように鳴り響く音を、男は楽しんでいた。
 足の裏がすり切れ、革靴に血が付いても、男は毎日歩く。家では常に、頭を振っていなと落ち着かなくなった。

 音はすでに、ぐわんぐわんと澄んだ音色でなくなっていたが、それでも男は音を聞きたくてたまらない。教会の鐘のような心地よさを感じていたのだ。
 音に包まれる感覚。
 もっと大きな音を。
 もっと響く音を。

 階段も、一段とばしから二段とばし、そのうちに、最後の五段を飛び降りるようになった。
 飛び降りたとき身体にかかる衝撃が大きいほど、鐘は大きく鳴り響いた。
 もっと、大きな音を。
 毎日、男は考えた。
 地下鉄ではもう、毎日の奇行をじろじろ見られるようになっていたので、遠くまで出かけて、デパートの誰も使わない階段を駆け下りるようになった。
 もっと、もっと、もっと、音を。


 完全な音を。


 次の日、男は迷うことなくビルの屋上に上ると、フェンスを乗り越えて飛び降りた。
 地面が近づいてくるのを見ているとき、男はこれ以上もなく、幸福だった。
 
 ばぎゃごっ!
 周囲の人が聞いたのは、ただのそんな音だった。
 あーあ、うわあ。そう言いながらのぞき込んだ人々の目には、満ち足りた笑顔が赤い海の中に転がっている。そんな風にしか見えなかった。

 

 

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