海ウサギな毎日2


++ 子供思いの島 ++


 総一郎は、真っ白な海ウサギです。
 今は、カシオペイアとならんで、どこまでも続く、緑色の海を泳いでいました。
 その小型のレジャボート、‘カシオペイア‘のデッキの上に、青い、三段フリルのワンピースを着たティンカーが、足をなげだして座っています。短めの金髪が、後ろにになびいていました。
「総一郎ー、ねぇ、まだー?」
「もうすぐじゃあないかなーっ」
 泳ぎながら、総一郎が叫びました。ちょっとうんざりした顔です。
 ここ二時間ほどでティンカーは、同じことを、(総一郎が数えているだけで)十七回もきいていましたから。
 ティンカーのふわふわのスカートが風にゆれています。真っ白なぼうしは、日差しをさえぎるもののない海の上で、大きな影を落としていました。そのぼうしについた青いリボンも、正面からの風を受けて、後ろにたなびいています。
「…おなかすいたわ…」
 ティンカーはつぶやきました。
「総一郎ーっ、エサとサラダよろしくねー」
 あおむけになったり潜ったりをしながら泳いでいる総一郎にそういうと、よっ、というかけ声とともに立ち上がりました。
 六メータほどの小さな船の一番後部に、道具入れがあります。
 そこから、ティンカーの身長よりだいぶ大きい、二メータほどのさおを取り出しました。
 ふなべりまでいって、総一郎から投げてもらった数個の貝を受け取ります。
 それをむいて針の先につけると、思い切りふりかぶって、仕掛けをぶんなげました。
 しゅるるる、と音がして、はるか遠くに、ぼちゃん、とおちます。
「はい。このくらいでいいかな」
 海から思い切り飛び出して、デッキの上に立った総一郎は、小さな手の中に山盛りの海草を抱えていました。
「ありがと」
 ティンカーはそういって、腰に巻かれた大きなリボンの中から、後ろ手に折りたたみナイフを取り出しました。手慣れた様子で、用意した二つのお皿の上でざくざくとナイフをすべらせます。
 仕上げに道具入れから出したドレッシングを、自分のお皿にかけました。
「ティンカあーっ、たすけてえ」
 その時、うしろから、悲鳴が聞こえました。
 振り向くと、総一郎が魚につられそうになっています。
「なにやってるのよ…」
 あきれたようにつぶやいて、ティンカーは総一郎の持っていたさおをひょいととりあげました。
 ぐい、と思い切り引いて巻き始めます。
 つりあげたさかなもナイフでさばいて、食べる分だけ、ティンカーのお皿にのせました。即席カルパッチョです。
 残りは、ひらいて干しておきました。

 ティンカーと総一郎がおそめの昼食を終えたころ、水平線の向こうに島影がみえてきました。
「島だよ!」
「そうね、やっとだわ。どんなとこかしら」
「ボクは平和なところがいいな…」
 総一郎が、こっそりとつぶやきました。もごもごとつづけます。
「前みたいに乱闘になるのはやだよ…。ティンカー、ケンカ早いんだから…」
「なにか、いった?」
 にっこりとほほえんだティンカーに、あわてて総一郎が首をふりました。
「楽しいところだといいね、って、言ったんだよお」
 そんなやりとりをくり返すうちに、島はどんどん近づいてきます。
 サンゴしょうのなかにある、小さな島です。ヤシのような木で作られた、小さなさんばしが見えました。数そうの小舟がつないであります。
 白いサンゴが細かくなった海岸をずっと歩いても、一時間もあれば一周できるような、小さな島でした。
「あの、すみませーん、ここに、船をつないでもいいですか?」
 小舟の一つに座って、あみをなおしていた老人に、ティンカーが言いました。
「声、変わってるよ…」
 無視して、にっこりとほほえみをつけくわえると、真っ黒に日焼けした老人は、びっくりしたように立ち上がり、
「もちろん、旅のお方!わしらの島にようこそ!」
 とうれしそうに叫びました。
 ティンカーがカシオペイアをさんばしにつないでいる間、老人はにlこにこしながら、その可愛らしい客人に、しきりに歓迎の言葉をかけました。
「ところで、おじょうちゃん、大人の人はいないのかい?」
 ええ、私たちだけなんです。とほほえんだティンカーに、老人は少しおどろいた顔をして、
「ちいさいのに、えらいなあ」 と、目をほそめました。
 そして、よかったらわしの家に来ないかい?とティンカーたちをさそいました。
「どうするの?」
 小声で、総一郎がささやきました。
「もちろん、いくわよ。」
ティンカーはうれしそうに答え、長い、広がったスカートを軽やかにゆらしながら、老人の後をついていきました。


「まあ、長老さんだったんですか」
 木をくり抜いて、細かい彫刻のほどこされたコップに、なみなみと注がれたフルーツジュースを優雅に飲みながら、ティンカーが言いました。
 総一郎は、彼に合ういすがなかったため、ティンカーのひざのうえにすわって小さなコップを抱えています。
「まあ、そんなこというても、こんな小さな島だから、名前だけですけどな」
 そういいながら、老人に案内された高床式の小屋は、くる途中に点在していたものよりは、確かに大きいようでした。
「今、食事の用意をしていますからな」
 奥の部屋では、上品そうな白髪のの奥さんが、いそがしそうに働いています。
「いえ、ボクはこの果物だけで…」 いいかけた総一郎のくちを、さりげなくふさいで、
「ありがとうございます」
ティンカーはにっこりわらいました。
「まだたべるの…?」
「食べられる時に、食べておくものよ」
 お互いにだけ聞こえるような声でささやきかわして、二人は部屋の中を見回しました。
 また、人が増えたようです。
 くる途中に、長老はティンカーたちを会った人すべてに紹介していたし、会った人たちも総一郎を抱き上げて、ティンカーと握手をしたあと、走って人を呼びにいったのだから、仕方ないといえるでしょう。
 部屋の中にはもう、二十人ほどの人間がいました。なぜか、しわくちゃの顔をした老人たちばかりです。それぞれティンカーたちに声をかけた後、手に水の入ったコップを持ち、床に座って、楽しそうに笑い合っています。
「さあ、どうぞ」
 奥さんが、大きな皿にもられた料理を持ってきました。
 さらに多い種類のフルーツや、工夫たっぷりの魚料理、それに、海に浮かぶ島では貴重だろう鶏肉も並んでいます。
「まだまだありますから、どんどんたべてくださいね」
 にっこりほほえんで、どんどんお皿をはこんできました。
「さあ、飲み物もどうぞ」
 長老も、二人のコップにジュースをついでくれます。
「おじいさんは、のまないんですか?」
 総一郎が、首をかたむけてききました。
 たしかに、長老の前には水の入った粗彫りのコップが置いてあるだけです。
 運ばれてきた料理にも手をつけていません。
「ああ、わしは、いいんだよ。いつもこうだから。さ、気にせずにどんどんたべておくれ」
 にこにこ笑って、長老はいいます。
「はい、いただきますね」
 総一郎が、でも、といいかけたところを、ティンカーがひきついでしまいました。総一郎が恨めしげに上を見上げます。
「…いいの?」
 こっそりいったことばに、口いっぱいにほうばった料理を飲み下してから、ティンカーが答えました。
「…んぐ、そんなの、…、放っておけばいいのよ。家庭の事情でしょ」
 あっさりといって、次の料理に手をのばします。
「そーかなー…」
 まだ不満そうな総一郎ですが、結局首をかしげたあと、目の前の海草サラダに手をのばしました。
 ティンカーはそれから一時間ほど、なんとか限界までねばりましたが、総一郎の、さすがにもうやめたら…、というあきれた言葉に、やっと食べることをあきらめました。
「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです」
 ハンカチで口を拭きながら、はちきれそうなおなかで、けれどにっこりとティンカーは続けました。さりげなく、こしのリボンをゆるめています。
「少しお聞きしてもいいですか?」
「ああ、もちろん」
 正面に座った長老が、うれしそうに答えました。
「この島、お年寄りしかいないのですか?」
「いや、そんなこたあないよ」
 長老はそこまでいうと、破顔しました。
「わしらには、孫がいるよ。夢も未来もある、とびきりかわいい孫たちが」
 長老が今までで一番優しい笑顔でいったとき、とたんに、まわり老人たちがいっせいにはなしだしました。
 あたしんとこの孫はね、うちのあの子が、いや、わしのとこのがいちばんかわええ、と大声で、ひとみをかがやかせてティンカーたちに語ってくれます。
「おじいさんたちとお孫さんだけなのーっ?」
 となりのおばあさんにいかに自分の孫がかわいいかを力説する長老に、総一郎は大きな声でききました。
 その声に気づき、長老は、二人に向き直ると、この島のことを話してくれました。
 昔は、自分たちの息子も娘もいたこと。となりの島との戦争と、せめていったとなりの島での疫病のこと。
「だから、孫たちは親の顔もしらん。かわいそうなことだ。だから、だからせめて、わしらはみんなであの子たちをかわいがろうと決めたんだよ。わしらのできることなら何でもしてやろうと」
 わしらと息子が、戦いでつかれはてていたぶんも、と長老はつけ加えました。
「あの部屋が、お孫さんの部屋ですか?」
 開放的な家の中に、一つだけとびらをつけられた部屋を、ティンカーが指さしました。
「そうだよ。あの子の部屋だ」
「なんで、あそこだけとびらがついてるの?」
 総一郎の問いに、孫がいやがるから、と長老は答えました。思春期らしくていいだろう?息子には、部屋すら与えてやれなかったよ、といいながらです。
「中を、見せてもらってもいいですか?」
 今度は、しばらくなやんでいる様子でしたが、やがて、了解してくれました。
 そして突然、くるりと後ろを向きました。
 気がついたように、部屋中の老人が一斉に背中を向けます。
「ど、どうしたの? 宗教かなにか?」
総一郎は、びっくりしてたずねました。
「いやあ、そんなことはないよ。ただ、わしらはへやをのぞくな、といわれているものですからな」
 長老は、笑いながら答えます。
「ふうん、そうなの…」
 総一郎はもごもごいって、何なんだろう、という目つきでティンカーを見上げました。
 ティンカーはひょいっと肩をすくめると、そのまま扉の方へと歩いていきました。
 部屋は、…異質でした。
 みがきあげられ、ぴかぴかに光った家具があって、大きなてんがい付きのベッドもあります。
 本棚には真新しい本がぎっしりと詰められていたし、床には美しい模様のつるくさのカーペットがしいてあり、がらんとしたとなりの部屋とはおおちがいで、色々なおもちゃが床に散らかっていました。
「ほえええ、すごいね…」
「そうね、この島でこの量の本を手に入れるのは、大変でしょうに」
「でも、全然開いたあとがないよ? マンガ以外」
 なんて、もったいない、と、しみじみとティンカーはつぶやきました。
 扉を閉めて外にでると、やっと老人たちは思い思いの方向にむきなおりました。
「あれだけの本を全部取り寄せたんですか?」
とティンカーがきくと、こともなげに長老はうなずきました。
「いつでも学びたいことを学べるようにしておいてやろうとおもってな」
「でも、開いたあとがなかったよ」
 不思議そうな総一郎に、長老はわらいました。
「そうしたいときに、できる。それが大事なんだよ。孫たちには、わしらとちがって、したい時にしたことができる自由がある。よみたくないなら、それでもいいんだよ」
「そうなんですか」
 ティンカーも、ほほえみました。
 
 その夜、案内する、といった長老を断って、二人は島を散歩することにしました。
「変だよね」
「なにが?」
 澄んだ空気の中をゆっくり歩きながら、ティンカーは答えました。空一面の星がとても綺麗です。
「あの部屋、まるで王様みたいだったよ」
「そうねー」
 ずっと海の上だったので、胸一杯に木のにおいを吸い込んで、ティンカーはどことなくうれしそうでした。
「ボクの話、ちゃんときいてる?」
「人のことにくびをつっこむものじゃないわよ。ご飯が食べられたんだから、いいじゃない」
「たしかに、いい人たちだったけど…」
 そういった総一郎に、それはどうかしら、とティンカーはつぶやいて、青いフリルとリボンをたなびかせながら、すたすたと歩いていきました。


 それが起こったのは、長老たちのすむ、村落に戻ったときでした。
「わしらの島に、残ってくれんかな。孫が、そうのぞんどる」
 出迎えた長老が、言いにくそうにつぶやきました。
「お断りしますわ」
 にっこりとほほえんで、ティンカーがいいました。
「ふん、だめだね」
 困ったような老人たちをかき分けてでてきたのは、数人の少年少女たちでした。どの子もぶよぶよと太って、えらそうにふんぞりかえっています。  すっかり日が暮れた中、たいまつの炎がおどって、三段になったおなかの影がゆれていました。
 真ん中の一番重そうな少年が、にやにやとつづけます。
「おまえは、オレたちのおもちゃ。あの船も、もらっておいてやったからな、」
 にっこりほほえんだまま、ティンカーの顔に青筋が立ったのを、総一郎だけは見逃していませんでした。ティンカーは、カシオペイアを何より大切にしています。
「あ、あの…。やめたほうがいいと思うよ」
 そういいったのを、少年は、ウサギがしゃべるな。とにらみつけました。
 ぴきり、と青筋が増えたのを見て、総一郎は、首を振りました。
「もうダメだ…」
「その、なるべく悪いようにはせんから、残ってくれんかの」
 長老が、もう一度言いました。
 子供たちと老人たちの目が、ティンカーに集まります。
「お、こ、と、わ、り、しますわ」
 もう一度、ティンカーもいいました。
「なんだとーっ」
 少年がうなりました。ふきげんそうに、ティンカーたちをにらみつけます。
「…どいていただけませんか?」
 ティンカーの言葉に、長老は、悲しそうに首を振りました。
「孫が望んでいるのでなあ」
 手には、硬そうな木の棒を持っています。
「ほら、早く言うこときかないと、痛い目にあうぜえ」
 ぎゃはははと笑う少年たちをティンカーは鼻先で笑い飛ばしました。
「欲しいものがあるなら、自分の力で手に入れてみたらどうかしら?一度くらい、その努力をしたことがあって?」
「なんだよ、生かしといてやろうかと思ったけど、もういいや、」
 しらけたように少年が言って、あごをしゃくると、長老が一歩、前にでてきます。
「孫が、そういいいますのでな」
「だから、わたしを、殺すんですか?」
 総一郎のように首をかたむけて、無邪気にティンカーは見上げました。
「仕方ないんだよ…」
 他の老人たちも、悲しそうな顔で、手に手に武器を持って、じりじりと二人に近づいてきます。
「そんなものを人に向けるってことは、」
 そこまでいって、ティンカーは、スカートの中に手をのばしました。そのまま一気に引き抜き、
「もちろん、自分もやられる覚悟ができてるってことよね」
 そう笑って、全長三十センチほどの大降りの………………、
 ピコピコハンマーを構えました。
「それ、やめよーよぉ」
 総一郎がそういった瞬間、ティンカーたちに向かって、老人たちが一気におそいかかってきました。細いうでに武器をふりあげ、さっきまでの悲しそうな顔はどこにもありません。
 そして、。
 ティンカーが思いっきりハンマーをふりおろします。
 ぴこ。
 という軽い音とは裏腹に、みぞおちにハンマーを食らった長老がもんどりうって地面に倒れました。おなかを押さえたまま、うめき声を上げています。
 赤とオレンジのハンマーの真ん中には砂が詰めてあり、重量でそれをふりまわすと、十分な殺傷能力があります。それを、りょうがわの空気部分で衝撃を軽くしてあるのでした。
 それでも、殴られればとても痛いし、頭に当たれば気絶してしまいます。
 そして、二十分ほどして、その場にたっていたのは、ティンカーと、少年たちだけでした。
「や、やめろよう」
 地面ではそこかしこで、老人たちがうめきごえをあげています。
「あらあら、わたしに、ここに残って欲しかったのよね?」
 うひいいい、と悲鳴を上げて逃げようとする少年たちを、にこにこと笑いながらティンカーは止めました。
「一歩でも動いたら、これで殴るわよ?」
 かなり重いはずのハンマーを、ひょいっと持ち上げました。
「やめてよう。僕関係ないよ!こいつがいったんだよう!」
 中の一人が、真ん中の少年を指さすと、がくがくといっせいにうなづいて、口々に自分のせいじゃない、と叫びだしました。
「やっかましいわよ!自分の行動に、自分で責任くらい持ちなさい!」
「ティンカーのいえることじゃない…」
 まわりをみないようにぽそりとつぶやいた総一郎を無視して、
「さ、どうしてやりましょうかねえ」
 にやり、とティンカーが邪笑むと、
 ひいいいいい、と情けない声を上げて、少年たちは座りこんでしまいました。
 涙と鼻水にまみれて泣いています。
「うふふふふ」
 笑いながら、じりじりとティンカーがちかづいていきます。手に、可愛いオレンジのハンマーを持って。




「悪しゅみだよね、ティンカーも…」
 月の明るい中、そよそよと気持ちのいい風を受けながら、総一郎がつぶやきました。
 すでに島は遠く、もう黒の点にしか見えなくなっています。
「あんなに、おどかさなくてもいいのに」
「あの子たちが悪いわ」
 きっぱりといったティンカーに、そりゃそうだけど、といってから、
「でも、おじいさんたち、大丈夫かなあ」
と心配そうな顔をしました。
「すごーく、痛そうだったよ」
「まあ、大丈夫なんじゃない?」
 そでのフリルをいじりながらティンカーは、のんびりと答えました。
 夜の海を、月光を受けたカシオペイアが、どこまでも走っていきます。
「次の島も、楽しいといいわね」
 その光の中、にっこりとティンカーがほほえみ、総一郎は、ゆっくりとため息をついたのでした……。

 

 

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