蛍光灯の光が降り注ぐ午後。 「あたしね、恋をしたみたいなの」 ソファでコーヒーを飲みながら二人でテレビを見ていたときに。とつぜんルチが言った。 「だれに?」 ぼくはルチに聞く。 ルチは、きれいな白い毛並みに、小さな赤いつばさを持つ、ハツカネズミの吸血鬼だ。 「ん、王子さま」 となりでルチは、真っ赤な目をくりっとさせた。 「さっき、CMに出ていたの、ほら、新しいビタミン剤のCM、やっていたでしょ」 ぼくは番組の合間に流れていたそのCMを思い出してみたけれど、ルチのいう、王子さま、は、浮かんでこなかった。 「おばあさんが、ゆりイスに座っていたやつだよね?」 「ええ、そう。その画面のはしに、座っていたの」 そういったルチは、少しはずかしそうだった。 しばらくたって、もう一度そのCMが流れた時、ぼくは目をこらして、壁にうまった画面を見つめた。 「あ、今の?」 わざとセピア色にしてある画面の、手前のテーブル。 そのすみっこに、陶器でできた、真っ白なネズミが立っていた。 中世の貴族のような、緑の羽ボウシに、青いマント。足元には茶色のブーツ。 小さなサーベルをもって、イスに座った姿は、確かに王子さまにも見えた。 「かっこいいね」 ルチは、小さな手で顔をかくしながら、ええ、とっても、とつぶやいた。 背中の羽が、熱を冷ますようにぱたぱた動いて、照れているのがよく分かる。 ぼくは、笑ってしまった。 「何で笑うの」 真剣なのよ、と、ルチが言う。 「ごめん」 ぼくは素直にあやまって、立ち上がると、パソコンに向かった。 ルチがよろこぶなら、と思って、その、王子さま、を検索する。 ひょっとしたら、同じものを、どこかで売っているかもしれないと思ったから。 次の朝、ルチがぼくに言った。 「今日は、ミルクだけでいいわ」 「どうして?」 おどろいて、ぼくは聞いた。 よく分からないけれど、ルチは吸血鬼なんだから、血を吸わなかったら、栄養が片寄ってしまうんじゃないだろうか。 「ん、ミルクを飲んでいたら、王子さまみたいに真っ白くなれるかもしれないから」 しばらく話し合った後、ぼくは、ルチの小さなカップに、ミルクをそそいだ。 ぼくは、今のルチのつやつやした毛並みの方が好きだったけれど、けっきょく口には出さなかった。 それからルチは、ミルクを飲みながら、一日中テレビを見ていた。 ぼくは、となりでパソコンをいじっている。 調べてみたら、ルチは、別に有機物なら血にこだわらなくてもいいらしい。 少しだけ安心した自分がいた。 ルチはといえば、あのCMのたびに顔を手でかくして、指の間から、王子さまを見つめている。 そして、ぼくも、あのCMがながれると、ルチにばれないように、こっそりとモニターから目をはなして、ルチを見る。 きっと、ルチもそんなぼくに気が付いていただろうけれど。 でもおたがいに何も言わない。 それが友達ってものだ。 その次の日、ルチが言った。 「あのね、キャンディー、ない?」 「あるよ」 ぼくが答える。 「青いのがいいんだけど」 どうして? ときくと、ルチは、 「わたしも、あの人の瞳みたいに、きれいな青になりたいから」 なんて、下を向いて答えた。 ぼくは、ガラスのビンに入った、きれいな青いキャンディを、ルチにあげた。 青い丸いキャンディの瞳。 赤い瞳の方が好きだったけれど、ルチは、たのしそうに口いっぱいのキャンディーをなめている。 それを眺めていると、なんだか、ぼくも幸せだった。 だから、まあいいや、と思い直して、ぼくはもう一度パソコンの画面に向かう。 となりの窓から見える景色が、まるであのCMみたいだ、なんて思いながら、キーボードをたたいていった。 夕方になって、ちいさな荷物が届いた。 何のかざりけもないのっぺりとした真っ白な箱。 「なあに?」 ルチが、ぼくの手元をのぞき込んで聞く。 「ん、あけてごらん」 そういうと、ルチは横はばが身長と同じくらいもある箱を、なんとかひざの上にのせ、両手でふたを持ち上げた。 わあ、と、かん声が上がる。 「すてき!王子さまの剣だわ」 ありがとう!とくりかえすルチの顔は、ぴんく色に染まっている。 それを見ていると、やっぱり「王子さま」をプレゼントできなかったのは、少しだけ悲しかった。 調べたら、あの「王子さま」はやっぱりCGで、ぼくにはどうしようもなかったのだけれど。 それとも、たとえ立体えいぞうでも、ルチはよろこんでくれたんだろうか。 その次の朝は、僕もルチも早起きだった。 「あのね」 朝一番にパソコンで大切なメールを受け取って、一緒に朝ご飯を食べているとき、ルチが言った。 「青いリボン、あるかしら」 あるよ、と、ぼくはウインクした。 「王子さまとおそろいにしたいから、だろ?」 そう言われたルチは、こくこくと小さくうなずいた。どうやら照れているらしい。 食事が終わってから、ぼくは青いリボンを探した。 引き出しのおくにあったリボンを首筋に付けてあげると、ルチは嬉しそうにくるくると回った。 「ちゃんと、床までの長さにしてくれたのね。ありがとう」 「本当は、もっとマントみたいに、ふわふわしたリボンがあったらよかったんだけど」 ううん、これ、すてきよ。そういって、ルチは、もう一度回った。 そのあとずっと、ソファにもたれないルチが、なんだか可笑しかった。 「くずれても、直してあげるのに」 と笑ったぼくに、 「ふふ、忙しそうだから、じゃまはしたくないの」 それに、ずっとかたかたうごいてる指、好きなの、といわれてしまった。 これじゃあまるで、ぼくがからかわれたみたいじゃないか。 次の日ぼくは少しねぼうして、目をあけたら、ルチがまくら元にちょこんと座っていた。 「おはよう」 「ええ、おはよう。おねぼうさん」 くすり、と笑われたので、ぼくは仕返しにルチのあごをなでてやった。ルチは何故か、それをいやがるのだ。 「そうだ、みどりの画用紙があるよ」 今日は、ぼくの方から声をかける。 どうするの? とルチは不思議そうだ。 「まあ、見ていなって」 その日、午後までかかって、ぼくは画用紙で小さなボウシを作った。小さかったり、大きかったり、ノリでべとべとになってしまったりして、時間がかかってしまったのだ。 「きゃあ、すてき」 ボウシに付ける羽がなかったので、考えた末、羽の形にボウシをくり抜いた。 下のルチの白い毛が見えて、なかなか上手くできたと思う。 ついでに、リボンも結び直してあげた。 「あのさ、」 ぼくが言う。 「茶色のブーツ、作ってあげられなくて、ごめんね」 どうしてそんなこというの? と、ルチはおどろいた顔をした。 「もう、十三歳だからさ、」 ぼく、明日死ぬんだ。 そういったら、ルチは、泣き笑いみたいな表情で、そうなの、とつぶやいた。 でも、ちゃんと次の飼い主はさがしたから。 と言うと、そうなの、と、同じ顔でルチは答えた。 うすいピンクのはなの頭が、少しだけぬれている。 昨日、そのメールを受け取った。 それまでに何度も、画面越しに話した仲。ぼくの一番の親友だ。 会ったことはないけれど、彼は九歳だって言っていたから、きっと、ルチが死ぬまでかわいがってくれるだろう。 自分が死ぬときに、ペットを一緒に殺してしまう人もいるけれど、ぼくは絶対イヤだった。 自分が注文したんだから、当然、なんて。 一生のうち、他人に会うことのないぼくたちの、たった一人の家族なのに。 自然に反したルチだって、そんなに長くは生きられないのは知っていたけれど。 次の朝、ぼくは起きてこなかった。 「おねぼうさん、…」 けれど、青いりぼんに、緑のボウシをつけたルチは、たしかに可愛かった。 窓の外からは一羽の鳥の声もきこえてこず、ただ廃墟と化した荒野があるだけだ。 そう、ここがぼくたちの世界。 おだやかな、続いていく、ぼくたちの世界。 出会わないかぎり、人は争うことがないのだと、教育ロボットはおしえてくれた。 でも、ぼくは、ルチに出会わなければ、生きていけなかった。 ぜったい、生きていけなかったと、思うんだ。 …CMでは、あいかわず、十五歳ほどの「おばあさん」が、王子さまをみつめもせずに、ビタミン剤をにぎりしめていた。 |