□ ルチの王子さま □


+* ルチの王子さま *+



蛍光灯の光が降り注ぐ午後。
「あたしね、恋をしたみたいなの」
 ソファでコーヒーを飲みながら二人でテレビを見ていたときに。とつぜんルチが言った。
「だれに?」
 ぼくはルチに聞く。
 ルチは、きれいな白い毛並みに、小さな赤いつばさを持つ、ハツカネズミの吸血鬼だ。
「ん、王子さま」
 となりでルチは、真っ赤な目をくりっとさせた。
「さっき、CMに出ていたの、ほら、新しいビタミン剤のCM、やっていたでしょ」
 ぼくは番組の合間に流れていたそのCMを思い出してみたけれど、ルチのいう、王子さま、は、浮かんでこなかった。
「おばあさんが、ゆりイスに座っていたやつだよね?」
「ええ、そう。その画面のはしに、座っていたの」
 そういったルチは、少しはずかしそうだった。

 しばらくたって、もう一度そのCMが流れた時、ぼくは目をこらして、壁にうまった画面を見つめた。
「あ、今の?」
 わざとセピア色にしてある画面の、手前のテーブル。
 そのすみっこに、陶器でできた、真っ白なネズミが立っていた。
 中世の貴族のような、緑の羽ボウシに、青いマント。足元には茶色のブーツ。
 小さなサーベルをもって、イスに座った姿は、確かに王子さまにも見えた。
「かっこいいね」
 ルチは、小さな手で顔をかくしながら、ええ、とっても、とつぶやいた。
 背中の羽が、熱を冷ますようにぱたぱた動いて、照れているのがよく分かる。
 ぼくは、笑ってしまった。
「何で笑うの」
 真剣なのよ、と、ルチが言う。
「ごめん」
 ぼくは素直にあやまって、立ち上がると、パソコンに向かった。
 ルチがよろこぶなら、と思って、その、王子さま、を検索する。
 ひょっとしたら、同じものを、どこかで売っているかもしれないと思ったから。
 

 次の朝、ルチがぼくに言った。
「今日は、ミルクだけでいいわ」
「どうして?」
 おどろいて、ぼくは聞いた。
 よく分からないけれど、ルチは吸血鬼なんだから、血を吸わなかったら、栄養が片寄ってしまうんじゃないだろうか。
「ん、ミルクを飲んでいたら、王子さまみたいに真っ白くなれるかもしれないから」
 しばらく話し合った後、ぼくは、ルチの小さなカップに、ミルクをそそいだ。
 ぼくは、今のルチのつやつやした毛並みの方が好きだったけれど、けっきょく口には出さなかった。
 それからルチは、ミルクを飲みながら、一日中テレビを見ていた。
 ぼくは、となりでパソコンをいじっている。
 調べてみたら、ルチは、別に有機物なら血にこだわらなくてもいいらしい。
 少しだけ安心した自分がいた。
 ルチはといえば、あのCMのたびに顔を手でかくして、指の間から、王子さまを見つめている。
 そして、ぼくも、あのCMがながれると、ルチにばれないように、こっそりとモニターから目をはなして、ルチを見る。
 きっと、ルチもそんなぼくに気が付いていただろうけれど。
 でもおたがいに何も言わない。
 それが友達ってものだ。
 


 その次の日、ルチが言った。
「あのね、キャンディー、ない?」
「あるよ」
 ぼくが答える。
「青いのがいいんだけど」
 どうして? ときくと、ルチは、
「わたしも、あの人の瞳みたいに、きれいな青になりたいから」
 なんて、下を向いて答えた。
 ぼくは、ガラスのビンに入った、きれいな青いキャンディを、ルチにあげた。
 青い丸いキャンディの瞳。
 赤い瞳の方が好きだったけれど、ルチは、たのしそうに口いっぱいのキャンディーをなめている。
 それを眺めていると、なんだか、ぼくも幸せだった。
 だから、まあいいや、と思い直して、ぼくはもう一度パソコンの画面に向かう。
 となりの窓から見える景色が、まるであのCMみたいだ、なんて思いながら、キーボードをたたいていった。

 夕方になって、ちいさな荷物が届いた。
 何のかざりけもないのっぺりとした真っ白な箱。
「なあに?」
 ルチが、ぼくの手元をのぞき込んで聞く。
「ん、あけてごらん」
 そういうと、ルチは横はばが身長と同じくらいもある箱を、なんとかひざの上にのせ、両手でふたを持ち上げた。
 わあ、と、かん声が上がる。
「すてき!王子さまの剣だわ」
 ありがとう!とくりかえすルチの顔は、ぴんく色に染まっている。
 それを見ていると、やっぱり「王子さま」をプレゼントできなかったのは、少しだけ悲しかった。
 調べたら、あの「王子さま」はやっぱりCGで、ぼくにはどうしようもなかったのだけれど。
 それとも、たとえ立体えいぞうでも、ルチはよろこんでくれたんだろうか。
  



 その次の朝は、僕もルチも早起きだった。
「あのね」
 朝一番にパソコンで大切なメールを受け取って、一緒に朝ご飯を食べているとき、ルチが言った。
「青いリボン、あるかしら」
 あるよ、と、ぼくはウインクした。
「王子さまとおそろいにしたいから、だろ?」
 そう言われたルチは、こくこくと小さくうなずいた。どうやら照れているらしい。
 食事が終わってから、ぼくは青いリボンを探した。
 引き出しのおくにあったリボンを首筋に付けてあげると、ルチは嬉しそうにくるくると回った。
「ちゃんと、床までの長さにしてくれたのね。ありがとう」
「本当は、もっとマントみたいに、ふわふわしたリボンがあったらよかったんだけど」
 ううん、これ、すてきよ。そういって、ルチは、もう一度回った。
 そのあとずっと、ソファにもたれないルチが、なんだか可笑しかった。
「くずれても、直してあげるのに」
と笑ったぼくに、
「ふふ、忙しそうだから、じゃまはしたくないの」
 それに、ずっとかたかたうごいてる指、好きなの、といわれてしまった。
 これじゃあまるで、ぼくがからかわれたみたいじゃないか。
 




 次の日ぼくは少しねぼうして、目をあけたら、ルチがまくら元にちょこんと座っていた。
「おはよう」
「ええ、おはよう。おねぼうさん」
 くすり、と笑われたので、ぼくは仕返しにルチのあごをなでてやった。ルチは何故か、それをいやがるのだ。
「そうだ、みどりの画用紙があるよ」
 今日は、ぼくの方から声をかける。
 どうするの? とルチは不思議そうだ。
「まあ、見ていなって」
 その日、午後までかかって、ぼくは画用紙で小さなボウシを作った。小さかったり、大きかったり、ノリでべとべとになってしまったりして、時間がかかってしまったのだ。
「きゃあ、すてき」
 ボウシに付ける羽がなかったので、考えた末、羽の形にボウシをくり抜いた。
 下のルチの白い毛が見えて、なかなか上手くできたと思う。
 ついでに、リボンも結び直してあげた。
「あのさ、」
 ぼくが言う。
「茶色のブーツ、作ってあげられなくて、ごめんね」
 どうしてそんなこというの? と、ルチはおどろいた顔をした。
「もう、十三歳だからさ、」
 ぼく、明日死ぬんだ。
 そういったら、ルチは、泣き笑いみたいな表情で、そうなの、とつぶやいた。
 でも、ちゃんと次の飼い主はさがしたから。 と言うと、そうなの、と、同じ顔でルチは答えた。
 うすいピンクのはなの頭が、少しだけぬれている。
 昨日、そのメールを受け取った。
 それまでに何度も、画面越しに話した仲。ぼくの一番の親友だ。
 会ったことはないけれど、彼は九歳だって言っていたから、きっと、ルチが死ぬまでかわいがってくれるだろう。
 自分が死ぬときに、ペットを一緒に殺してしまう人もいるけれど、ぼくは絶対イヤだった。
 自分が注文したんだから、当然、なんて。
 一生のうち、他人に会うことのないぼくたちの、たった一人の家族なのに。

 自然に反したルチだって、そんなに長くは生きられないのは知っていたけれど。




 次の朝、ぼくは起きてこなかった。
 「おねぼうさん、…」
 けれど、青いりぼんに、緑のボウシをつけたルチは、たしかに可愛かった。
 窓の外からは一羽の鳥の声もきこえてこず、ただ廃墟と化した荒野があるだけだ。
 そう、ここがぼくたちの世界。
 おだやかな、続いていく、ぼくたちの世界。
 出会わないかぎり、人は争うことがないのだと、教育ロボットはおしえてくれた。
 でも、ぼくは、ルチに出会わなければ、生きていけなかった。
 ぜったい、生きていけなかったと、思うんだ。
 
 …CMでは、あいかわず、十五歳ほどの「おばあさん」が、王子さまをみつめもせずに、ビタミン剤をにぎりしめていた。
 

 

 

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